清純派女優の竹下景子がソープランド嬢を演じたことでも話題になったドラマ「モモ子」シリーズ。その演出プロデュースを手がけた堀川とんこうが語る、市川ドラマの舞台裏とは?
【二人の出会い】
――まずは市川森一さんとの出会いからお聞かせ下さい。
ぼくは大学を卒業して1961年にTBSに入社し、以来ずっとドラマを演出していたんですが、入社10年目を過ぎたころから、夜のゴールデンタイムに放送される連続ドラマを、自分で企画するチャンスが巡ってきたんですね。
番組の制作予算もたくさんもらえるし、せっかく自分の好きなようにドラマが作れるわけだから、新しいことに挑もうと考えたわけです。先輩ディレクターがまだやっていないことにね。書いてもらう脚本家も若い人がいいと思ったのですが、「この人にぜひ頼みたい」という人をぼくは知らなかった。そこでTBSの先輩プロデューサーだった橋本洋二さんに、相談したんですね。そのとき橋本さんが推薦してくれたのが市川さんだったんです。そこですぐに市川さんに会って、ぼくが作ろうとしていた連続ドラマを書いてもらうことになったわけですね。
当時の市川さんはすごくやせていて、しかもいつも細身の背広を着ていたな。髪の毛も短めで、小ぎれいで。見た目は、そのころテレビの売れっ子だった桂三枝さん(現在の桂文枝)によく似ていましたよ。
【不治の病を抱えたシングルマザー】
――市川さんと初めて組んだドラマが、1976年放送の『グッドバイ・ママ』ですね。ヒロインを演じたのが、デビュー4年目の坂口良子さんでした。
坂口さん演じるあざみは、毎日忙しく働きながら幼い娘も育てるという、今で言う「シングルマザー」ですが、当時としては珍しい人物設定だったんですよ。若い女の人が幼い子供を抱えて生きていくことは、今よりもはるかに大変な時代だったし、シングルマザーを支える社会の仕組みもまだ整っていなかった。
しかも主人公のあざみは、不治の病をわずらっていて、ほとんど余命がない。そのことを知っている彼女は、第1話でわが子を里子に出そうとするけど、結局、その子と生きる道を選んで、自分が死んだ後にわが子の面倒を見てもらえるようにと、恋人探しを始めるんです。彼女の周りにはいろんなタイプの男性がいるのですが、彼らとヒロインの会話が実に新鮮でね。当時の市川さんは若かったし、それまでのテレビドラマにはなかった瑞々しい感性で、シナリオを書いてくれたんです。
物語の舞台は、ぼくの希望で東京の下北沢に決めました。その後、本多劇場が出来たのをきっかけに「演劇の街」として注目されましたけど、当時、若者の町として話題になり始めた頃でした。シナリオ作りのために、市川さんとも下北沢によく出かけましたよ。
――主題歌が大ヒットしましたね。
ジャニス・イアンが歌った「ラブ・イズ・ブラインド」ですね(邦題は「愛は盲目」)。あれもぼくが選びました。ジャニスはアメリカ人のシンガーソングライターですが、当時はそれほど知名度はなくてね。ぼくはたまたま彼女の歌声を輸入LPで聴いて、とても気に入ってしまったので主題歌に使いましたが、決断するまでに時間がかかりました。当時、テレビドラマの主題曲といえば、演奏だけのインストゥルメンタルばかりでしたから、海外の歌手が英語で歌う曲を使うのは、大きな冒険だったんです。でも放送が始まったら、心配をよそにこの曲が話題になりましてね。これに味をしめて、翌年にぼくがプロデューサーを務めた『岸辺のアルバム』という連続ドラマでも、ジャニスの曲を主題歌に使ったんです。「ウィル・ユー・ダンス」という題名なんですけど。
【ソープランド嬢モモ子誕生秘話】
――その次に市川さんと作ったドラマが、これも人気を集めた「モモ子」シリーズです。でも『グッドバイ・ママ』から6年間も空いていますね。
その間にぼくは編成部への異動があったりして、ドラマ制作からしばらく離れていたんです。久しぶりに演出部へもどってきたら、「ザ・サスペンス」という、土曜の夜9時から放送される、2時間ドラマの番組枠で撮ることになりました。当時は2時間ドラマが全盛で、テレビ朝日と日本テレビが先行していて、TBSも遅ればせながら参戦したわけです。しかもTBSは、人気絶頂だったテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の真裏に、「ザ・サスペンス」をぶつけましてね。
さて、そのドラマ枠でどんなドラマを作ろうかと考えたときに、朝日新聞のある殺人事件を報じるコラムが目に止まったんです。
どういう内容かいうと、ある一流会社の課長が、妻の実家から資金の援助を受けて、マイホームを建てるための土地を買ったわけね。ところが、課長は援助を受けたことに負い目を感じていて、一時的に土地を売って株式に投資し、その儲けで金を返そうと考えた。ところが株に失敗して、課長は土地を買い戻せなかった。すべて妻に内緒でやったことなので、今さら本当のことも言えず、課長は12年間も真実を隠しつづけますが、妻がマイホーム購入に動き出したことで課長は追い詰められ、ついに妻を絞殺してしまったんです。
当時のサラリーマンにとって、郊外に土地を買って家を建てることは、ある種のステータスであり、がんばれば手が届きそうな夢でもあったわけですね。そういう時代背景もあったので、この事件をふくませて2時間ドラマにできないかなと、市川さんに声をかけたんです。
――脚本作りは順調に進みましたか?
いえ、難航しました。今お話しした事件をふくらまそうと、市川さんと話し合ったけれど、すぐに行き詰まってしまって。ぼく自身が会社員だったこともあってか、妻を殺したサラリーマンの悲哀ばかりが先立ってしまい、どうしても話が転がらないんですね。市川さんも「殺された奥さんを悪妻として描くしかないかなあ」とこぼすし、完全に手詰まりの状態でした。
でも、ぼくはどうしても諦めきれなくて、何か突破口はないかと考えていたら、電車に乗ったときに週刊誌の中吊り広告に目が行ったわけね。それが「1ケ月に200万円も稼ぐトルコ嬢がいる」という見出しだったんですよ。「トルコ嬢」は今でいうソープランド嬢ですけど、旦那さんが妻に内緒で手放した土地をトルコ嬢が買った、という設定にしたら、面白い話になるんじゃないかと思って、市川さんにそう伝えたら、彼もがぜんやる気になってくれて、あっという間に脚本が出来上がったわけです。
しかも、その脚本の出来ばえが実に素晴らしくて、私の演出家人生で手にした最良の脚本と断言できます。ところが撮影が終わったら放送時間内が収まらなくなってしまい、編集の時に泣く泣くある1シーンを丸ごと切ったのですが、あの時はつらかったですね。
市川さんが最初に考えた番組タイトルは「乳と蜜の流れる地よ」でした。でも、サスペンスものとしては地味すぎるということで、TBSの番組宣伝部が「12年間の嘘」というタイトルを考えてくれて、「乳と蜜~」はサブタイトルにしたんです。
【難航したモモ子のキャスティング】
――『12年間の嘘』は1982年に放送されました。主演の竹下景子さんは当時の清純派女優の代表であり、「お嫁さんにしたい女優」の第1位でした。その竹下さんが、ソープランド嬢を演じたということで、大きな話題になりましたね。
ええ、そうでした。でもモモ子が竹下さんに決まるまでには、紆余曲折があったんですよ。まず市川さんと意見が一致したのは、ソープランド嬢役が似合う女優さんは絶対に選ばない、ということだったです。意外性がないですからね。では誰がいいかと悩んでいたら、市川さんが唐突に言ったんですね、「都はるみはどうかな」と。当時の都さんといえば、超売れっ子の歌手ですからね。たぶん引き受けてくれないだろうと思ったけど、ダメモトで頼んでみたら、やっぱり断られてしまって。
その後で名前が挙がったのが竹下景子さんでしたけど、言い出したのが、市川さんだったかぼくだったかは記憶にないんですよ。さっそく竹下さんのマネージャーに恐る恐る出演を打診したら、幸いなことに引き受けてくれたんです。これは市川さんのおかげですよ。市川さんはそれ以前に、竹下さんが出演したドラマを北海道のHBCで書いていたので、竹下さんや彼女のマネージャーと信頼関係が培われていたんですね。
撮影現場での竹下さんには感動を覚えました。ソープランド嬢の役だがら、当然のことながら、お店の風呂でお客さんの体を洗うシーンもあるわけです。さすがに彼女は全裸にはなりませんけど、太股もあらわな仕事着で芝居しなければならない。ところが竹下さんは、臆することなく堂々と芝居をするんですよ。女優魂を見た思いがしましたね。
――『12年間の嘘』は視聴率28パーセントの好成績を記録し、芸術祭のテレビドラマ部門の優秀賞も受賞しました。
予想以上に大ヒットしたもので、すぐに続編を作ることになったわけですが、市川さんと相談して、第1弾では狂言回しだったモモ子を、2作目は主役に据えたんです。マスコミでもモモ子が話題になりましたからね。
ただしストーリーは、この時も、ぼくが実際に起きた事件を見つけてきて、その話を元にしながら、市川さんに脚本を書いてもらいました。2作目の後、モモ子はシリーズ化しましたけど、全部で何本ありましたかね。
――全部で8本です。モモ子は、第4弾の『グッバイ・ソープガール』でソープランド嬢から足を洗うと、第5弾以降は、カタギとして生きていこうと決意。仕事を変えながらあてのない旅をつづけ毎回、流れ着いた町で事件に巻きこまれました。
でもモモ子は頭はよわいけれど正義感が強くて、やさしくてお人好しだから、困っている人に出会うと、つい手を差し伸べてしまうわけね。しかも、自分の夢を実現するために貯めていた大金を、相手にだまし取られてしまう。
回を重ねるごとに、モモ子のキャラクターは、自分を犠牲にしてでも人助けに手を貸す女、に変わっていきましたよね。言ってみれば「女寅さん」ですよ。ぼくや市川さんの思惑を越えて、キャラクターがどんどん独り歩きを始めた感じがしたなあ。そうやってモモ子は変化していきましたけど、実際に起きた事件からストーリーを発想するというシナリオ作りは、最後まで変わりませんでした。シリーズ最終作では老人問題でしたね。
モモ子シリーズは不思議なドラマで、放送は数年おきだし、しかも放送される番組枠が毎回、変わりました。こういうドラマは珍しいと思うけど、それだけ竹下さんの演じたモモ子が、視聴者から愛されたということじゃないかな。
【ファンタジー、聖と俗の対比】
――市川さんの作風についてはどんな印象を?
先ほどもお話ししたように、最初のモモ子を作るときに、「トルコ嬢が土地を買った」という設定を見つけたことで、市川さんは一気に先が開けたと思うんです。つまり、そうした少し突飛なフィクションが市川さんは好きだし、脚本を書くときのきっかけになったんじゃないですか。モモ子の1作目でも、のちに妻に手をかけることになる男が、金策のために故郷にもどるとお祭りの風景を目にしたり、すでにこの世にいない祖母の声を聴いたりしますが、今から思えば、市川さんらしい展開だと思います。田舎の祭りには、どこか幻想的で、ノスタルジックな雰囲気がありますからね。
そういえば、モモ子シリーズを作っている最中に、ぼくは『受胎の森』という単発ドラマをプロデュースしたのですが、これも脚本は市川さんでした(1985年放送)。主演は竹下景子さんと樋口可南子さん。当時としては早かった「人工受精」をテーマにした話でしたけど、そこに市川さんはノームの伝説を忍びこませたんですね。森に住むという小人の伝説ですね。社会問題をそのまま取り上げるだけでは物足りなくて、そこにファンタジーを混ぜたくなるんでしょうね、きっと。
それからモモ子シリーズのほとんどが、タイトルにキリスト教に関する言葉が入っているんですね。「乳と蜜の流れる地」「受難」「罪と罰」そして「巡礼」。市川さん自身がクリスチャンだからそういう言葉を選んだと思います。
たとえば、最初に組んだ『グッドバイ・ママ』では、その最終回で不治の病を抱えたヒロインが亡くなりましたが、場所は教会でした。妻殺しに手をそめる男が失った土地は、市川さんにすれば、神から与えられた、甘い乳と蜜の流れる「約束の土地」だったと思いますよ。その土地から引き離された都会人の物語が、最初のモモ子だったんです。
さらに言えば、モモ子はソープランド嬢を職業とする、時には周りから蔑まれる「俗」なる女なのに、好きな男や困っている人に対しては迷わずに手を差し伸べる、慈悲深き「聖母」に変わる。ほかのディレクターと作ったドラマはどうかわかりませんが、少なくともぼくが関わった市川作品には、そうした聖と俗の対比かしばしば出てきました。
そう考えると、聖書は、おそらく市川さんにとって、常に大きな存在だったんじゃないかな。
キリスト教的なものの見方は、脚本を書く上での拠り所であると同時に、自分を束縛するものでもあったと思います。つまりクリスチャンにとっては、いくら時代は変わっても、人間が抱える全ての問題に対する答えは、すでに聖書に書いてあるんですよ。だから市川さんさんはストーリーを考えるときに、登場人物が抱える悩みを現実の社会で解決策を考えることに関心が向かないという面があったんじゃないですか。そのことについて市川さんと話し合ったことはないけれど、モモ子シリーズを一緒に作っているときに、そんなことを感じましたね。
【市川森一が旅館の番頭に変身!?】
――仕事から離れたときの市川さんは、どんな風に映りましたか?
人を楽しませることが好きでしたね。モモ子シリーズのある回で、群馬県の伊香保温泉でロケ撮影をやったんですが、珍しく市川さんも見学に来たんですよ。撮影の最後に出演者やスタッフが集まって、記念に写真を撮ることになったんですが、ぼくのそばに来た市川さんを見たら、なんと泊まっていた旅館のハッピを着ているんですよ。××旅館と屋号が入っている、番頭さんが着るやつを。あれにはびっくりしましたねえ。そうやって周りを驚かせたり、楽しませるのが好きでしたよ、市川さんは。
彼が書く脚本にも、読んでいてつい笑っちゃう場面がしばしばありました。モモ子のある回では、彼女が勤めるソープランドの店名が「スチュワーデス物語」となっていてね(笑)。そのころ同名のドラマが大ヒットしていたから、シャレでその名前を頂いたんですよ。ほかにも官能小説の作家が登場すると、その男の名前が川田宗薫だったり(笑)。
市川さんとは普段の付き合いはあまりなかったですけど、一緒にカラオケに行ったことがあるなあ。そのとき彼は、確か「三年目の浮気」を歌いましたけど、思いのほか歌がうまいので感心しましたよ。
ぼくはモモ子シリーズに限らず、ドラマを企画するときは、実際に起きた事件から発想することが多いんですね。もちろん事件をそのまま映像化するわけではないけれど、ドラマを作るときには、ぼくたちが暮らしているこの社会の現実や、時代の気分からストーリーのヒントを見つける方なんです。そのあたりは、きっと市川さんとは発想が異なっていたと思います。でも、両者の違いをうまく混ぜ合わせることができたからこそモモ子シリーズも長くつづけられたし、市川さんとも楽しくドラマ作りができたんじゃないかな。
(2012年11月2日、東京・南青山にて/取材・文=加藤義彦)
堀川とんこう氏 略歴
堀川とんこう(ほりかわ・とんこう)
1937年、群馬県生まれ。東京大学文学部を卒業後、TBSに入社。以後、『七人の刑事』『岸辺のアルバム』『風が燃えた』『私を深く埋めて』『或る「小倉日記」伝』ほか、数々のテレビドラマを演出・プロデュース。定年退職後は、フリーの立場で映画『千年の恋』、ドラマ『長崎ぶらぶら節』『一年半待て』などを演出している。
市川森一作品の演出では、「グッドバイ・ママ」「モモ子シリーズ」(計8本)、プロデュースは「受胎の森」「スイートメモリーズ」がある。